謎に満ちたオホーツク文化は 私たちの道しるべ

古代オホーツク文化の息づかいを感じるモヨロ貝塚館 【語る人=モヨロ貝塚館 館長 米村   衛さん】

今からおよそ1300年前、日本では奈良時代、世界では民族の大移動が起こり、各地に王国が成立した頃、北の大陸から北海道にやってきた人々がいました。サハリンから北海道にかけて栄えた古代の文化。巧みな航海術と、海獣狩猟や漁撈の技術を持地、海と共に生きていた民族だと言われています。それまで北海道では見られなかった独特の文化、オホーツクの豊かな海の恵みと共に生きた人々の暮らしは「オホーツク文化」と呼ばれ、その多くは謎に包まれていました。『モヨロ貝塚』は、大正2年に発見されたオホーツク文化を代表する遺跡で、昭和11年に国の史跡に指定されました(指定名称は最寄貝塚)。北海道内では最も早く指定されたものの一つです。発見したのは、米村喜男衛(よねむらきおえ)という理髪職人でありながら考古学の専門的な知識を併せ持つ若者でした。網走川の河口、最寄(もよろ=アイヌ語で『入り江の内側』の意)地区で大きな貝塚を発掘したのです。その後は、多方面から研究が進められ、多くの方々の手によって発掘作業が進み、オホーツク文化人の暮らしぶりが明らかになってきました。その先頭に立ち、保存活動に生涯を捧げた米村喜男衛を作家の司馬遼太郎は「日本のシュリーマン」と称えたほどです。ここモヨロに住んだ人々は、大きな六角形の竪穴式住居に暮らし、クマの頭蓋骨を積み重ねた祭壇をしつらえた独特の住まいでした。一つの住居に3〜4家族、20人ほどが暮らしていたと思われます。また、いくつかのクマの像が発掘されていることから、クマを祀り、祈りを捧げ、尊ばれていた様子がわかります。石で作られたクマの像は他にはありません。それほどまでにクマへの想いが深かったのでしょう。一方では、海での狩りも行っていました。動物の骨を使った釣り針や、海獣の狩猟のために驚くほど精巧な銛なども見ることができます。他にも矢じり、鉄製のナイフ、土器類(オホーツク式土器)、動物の牙などで作った装身具など、多彩な道具が発見されています。ところで、モヨロの人々、オホーツク文化人はどんな風貌だったのでしょう。発見された人骨から、身長は160cm前後、がっしりとした骨格で、大きな顎でほお骨が高く、その時代にあっては大柄な人々でした。四季を通じて、山、里、川、海といったオホーツクの豊かな自然を生きる糧としていたのでしょう。また、モヨロの人々の「死」に対する想いも知ることができます。出土した住居群の中には、お墓もありました。死者は頭を北西に向けて寝かせ、生前の愛用品などとともに葬ったようです。顔には土器を逆さまにしてかぶせるといった独特の方法で墓標を造りました。死生観が備わっていたようです。やがてオホーツク文化は消えていきます。しかし、モヨロの人々が残した多くのものが、限りない知恵を授けてくれる道標となるような気がします。

 

写真1:網走市立郷土博物館
モヨロ貝塚から出土した貴重な資料を保存するために、喜男衛さんの献身的
な働きかけによって建設された。北海道の近代建築として貴重な建造物です。

網走市桂町1丁目1-3 TEL 0152-43-3090
開館時間/9:00〜17:00(11月〜4月は16:00まで) 
休館日/月曜・祝日・年末年始  入館料/大人120円 小学・中学生60円

 

写真2:米村  衛
網走市立郷土博物館館長。

モヨロ貝塚の発見者である米村喜男衛さんの孫にあたる。

長い間、外来性文化は日本にはないものだと思われてきただけに、

モヨロをはじめとするオホーツクの海岸沿いに点在する遺跡が注目されている。

 

写真3:網走市立郷土博物館分館 モヨロ貝塚館
網走市北1条東2丁目 TEL 0152-43-2608
開館時間/9:00〜17:00(11月〜4月は16:00まで)
休館日/月曜・祝日・年末年始(7〜9月は無休)
入館料/大人 300円  高校・大学生 200円  小学・中学生100円

 

写真4:「北天の丘  あばしり湖鶴雅リゾート」

古民族の浪漫に思いを馳せる、新しいスタイルのリゾート空間です。

精緻な木彫り作品に囲まれたメインラウンジは、

幻の民の竪穴住居をヒントにしたしつらえです。

この地ならではの旅物語をどうぞお愉しみください。